品質保証部門で15年間バリデーションに携わってきた私が、今回お話ししたいのは「バリデーションの真の価値」についてです。
多くの現場では、バリデーションを「規制対応のための必要悪」として捉えがちですが、実はそれは大きな機会損失なのです。
適切に実施されたバリデーションは、単なるコンプライアンス要件を超えて、組織の品質文化を醸成し、チーム力を向上させ、継続的改善の基盤となる強力なツールへと変貌します。
私自身、初回のバリデーションプロジェクトで文書不備により査察指摘を受けた苦い経験から、「机上論ではない、現場で本当に使える」バリデーション手法を模索してきました。
この記事では、品質保証マネージャーとしての実務経験を基に、バリデーションを組織強化の戦略的ツールとして活用する方法をお伝えします。
なぜ今、バリデーションが組織を強くするのか
規制強化と査察リスクの高まり
製薬業界を取り巻く規制環境は、かつてないほど厳格化しています。
2025年薬機法改正では、新薬・後発医薬品の新規承認申請時において原則として実地調査が実施される方針が示されており[1]、これまで以上に実務レベルでの対応力が問われる時代に突入しました。
私が担当したPIC/S査察では、査察官は単に文書の存在確認だけでなく、「なぜその手順を選択したのか」「リスク評価の根拠は何か」といった、より本質的な質問を投げかけてきます。
このような状況下で求められるのは、形式的なバリデーション文書ではなく、組織全体が一貫した品質思考で行動できる体制なのです。
バリデーションが生む「見える化」と「標準化」
バリデーションの本質的価値は、製造プロセスの「見える化」と「標準化」にあります。
設備導入プロジェクトにおいて、DQ(設計時適格性評価)から始まる一連の適格性評価は、単なる設備検証に留まりません。
むしろ、関係部門が共通の目標に向かって協働し、技術的課題を体系的に解決していくプロセスそのものが、組織の問題解決能力を向上させる貴重な機会となります。
例えば、私が経験した製造設備のバリデーションでは、製造部、技術部、品質保証部が連携してリスクアセスメントを実施することで、各部門の専門知識が融合し、従来では発見できなかった潜在的課題が明らかになりました。
品質文化を支える共通言語としてのバリデーション
バリデーションは、組織内で品質について議論する際の「共通言語」としても機能します。
ICH Q14ガイドライン「分析手順開発」の施行[2]に見られるように、科学的根拠に基づくアプローチが強く求められる現在、バリデーションの考え方は品質保証活動全般の基盤となっています。
現場でよくある光景として、異なる部門間でのコミュニケーション齟齬がありますが、バリデーションの枠組みを共有することで、議論の土台が明確になり、建設的な問題解決が可能になります。
組織力を高めるバリデーション実践のポイント
設備導入段階からの関与が鍵
組織力強化の観点から最も重要なのは、設備導入の初期段階からバリデーションチームが関与することです。
従来の「設備完成後にバリデーション実施」という後追い型のアプローチでは、設計変更コストが膨大になるだけでなく、関係者の学習機会も限定的になってしまいます。
私の経験では、基本設計段階からバリデーション責任者が参画することで、設計品質の向上とチーム全体のスキルアップを同時に実現できました。
特にURS(User Requirement Specification)作成時に、製造部門の実務担当者と品質保証部門が密接に連携することで、現場のニーズを反映した実用性の高いシステムが構築できます。
交差機能チームとの連携と役割整理
バリデーションプロジェクトを組織強化の機会として活用するには、交差機能チーム(Cross-functional Team)の効果的な運営が不可欠です。
製造技術、設備エンジニアリング、品質保証、ITシステムなど、多岐にわたる専門分野の知見を統合する必要があります。
成功事例として、私が担当したプロジェクトでは、週次のバリデーション会議において各部門の進捗と課題を共有することで、部門間の壁を越えた問題解決が促進されました。
重要なのは、単なる情報共有に留まらず、各部門の専門性を活かした建設的な議論を促すファシリテーション能力です。
リスクベースアプローチの適用と優先順位付け
現代のバリデーションにおいて、リスクベースアプローチは必須の考え方となっています。
限られたリソースを効果的に配分するため、製品品質や患者安全への影響度に応じてバリデーション活動の濃淡を決める必要があります。
具体的には、Critical Quality Attributes(CQAs)とCritical Process Parameters(CPPs)を明確に定義し、それらに直接影響する要素に焦点を絞ったバリデーション計画を策定します。
このプロセスを通じて、チームメンバーは「なぜその活動が重要なのか」を論理的に説明できるようになり、単なる作業実行者から品質専門家への成長が促されます。
品質保証部門が果たすリーダーシップ
「現場任せ」にしない推進体制づくり
品質保証部門の最も重要な役割は、バリデーション活動を「現場任せ」にしないことです。
製造現場や技術部門に丸投げするのではなく、品質保証の視点から積極的にリードし、組織全体の品質レベル向上を牽引する必要があります。
私が実践している方法として、バリデーションマスタープラン(VMP)の策定段階で、品質保証部門が中心となって各部門のキーパーソンを巻き込んだワークショップを開催しています。
このワークショップでは、単に作業分担を決めるだけでなく、プロジェクトの目的と期待成果を全員で共有し、各部門の当事者意識を醸成します。
トレーニングと教育で強化する品質意識
組織の品質文化醸成において、体系的な教育プログラムは極めて重要です。
バリデーションに関する基礎知識から実務スキルまで、段階的な学習機会を提供することで、組織全体の底上げを図ります。
私が設計した教育プログラムでは、座学による理論学習と実際のバリデーション文書を用いた演習を組み合わせることで、実践的なスキル習得を支援しています。
特に効果的なのは、過去の査察指摘事例を題材としたケーススタディです。
「なぜこの指摘を受けたのか」「どうすれば防げたのか」を具体的に検討することで、品質に対する感度を高めることができます。
社内レビューの設計:「査察対応」から「品質の本質」へ
従来の社内レビューは、「査察で指摘されないための確認作業」という色彩が強い傾向にありました。
しかし、真の品質保証を実現するには、査察対応を超えて「品質の本質」を追求する姿勢が必要です。
私が導入した社内レビューシステムでは、以下の観点を重視しています:
科学的妥当性の検証
単に手順通りに実施されたかではなく、その手順が科学的に妥当であるかを評価します。
継続的改善の視点
現在のプロセスで十分か、より良い方法はないかを常に問い続ける姿勢を維持します。
ステークホルダーへの説明責任
患者、規制当局、社会に対して、なぜその判断をしたのかを明確に説明できるかを確認します。
実務現場でよくある課題とその突破口
バリデーション文書の整備不足と改善策
現場でよく遭遇する課題として、バリデーション文書の質的不足があります。
形式的な項目は満たしているものの、実際の製造プロセスとの整合性が取れていない、根拠となるデータが不十分、といった問題が散見されます。
この課題への対応として、私は「文書の生きた活用」を重視しています。
作成した文書が実際の業務でどのように使われるかを想定し、現場の作業者が迷わずに使える実用的な内容にすることが重要です。
具体的な改善策として、文書作成者と実際のユーザーとの定期的な対話機会を設け、継続的なブラッシュアップを行っています。
データインテグリティの盲点とは
データインテグリティ対応において、技術的な要件に注目が集まりがちですが、実はより重要なのは「説明責任」の観点です[3]。
ALCOA原則(Attributable, Legible, Contemporaneous, Original, Accurate)の遵守は当然として、「なぜその判断をしたのか」を第三者に説明できる体制の構築が不可欠です。
現場でよくある盲点として、電子記録の監査証跡は完備されているものの、紙媒体での記録管理が曖昧になっているケースがあります。
ハイブリッドな運用環境では、電子・紙双方のデータ管理方針を一貫して適用する必要があります。
私の経験では、データライフサイクル管理の観点から、データの発生から廃棄まで一連のフローを明文化し、各段階での責任者と手順を明確にすることが効果的でした。
試験設備のバリデーションにおける注意点
試験設備のバリデーションは、製造設備とは異なる特有の課題があります。
分析機器の場合、装置自体の性能確認(OQ)に加えて、分析法の妥当性確認との関係性を明確にする必要があります。
実務上の注意点として、以下が挙げられます:
校正プログラムとの整合性
バリデーション時に使用する校正済み計測器と、日常運用での校正プログラムとの一貫性を確保します。
変更管理との連携
分析法変更や装置メンテナンス時の再バリデーション要否判定基準を事前に明確化します。
データインテグリティ要件
電子データの完全性確保だけでなく、手書き記録との整合性チェック体制も重要です。
特に、査察官が注目するポイントとして、「なぜその分析条件を選択したのか」という科学的根拠の説明能力があります。
単に既存の方法を踏襲するのではなく、リスクアセスメントに基づいた合理的な判断プロセスを文書化することが求められます。
バリデーションを通じた人材育成の可能性
新人・中堅層へのOJTとフィードバックの工夫
バリデーションプロジェクトは、新人や中堅層の能力開発において極めて有効な機会です。
複数の専門分野にまたがる知識と、論理的思考力、コミュニケーション能力が同時に求められるため、総合的なスキルアップが期待できます。
私が実践しているOJT手法では、段階的な責任付与を重視しています。
最初は文書レビューや簡単なデータ集計から始まり、徐々に計画立案や評価判定にも関与させることで、着実な成長を促します。
効果的なフィードバック方法として、「なぜそう考えたのか」を丁寧にヒアリングし、論理的思考プロセスの向上を支援することに注力しています。
単に「間違い」を指摘するのではなく、より良い考え方や判断基準を提示することで、自主的な学習意欲を喚起します。
バリデーション文書を”教材”に変える視点
完成したバリデーション文書は、そのまま貴重な教材として活用できます。
成功事例だけでなく、途中で発生した課題とその解決プロセスも含めて体系化することで、組織の知的資産として蓄積されます。
私が導入した「バリデーション事例データベース」では、プロジェクトごとの学習ポイントを整理し、後続のプロジェクトメンバーが容易にアクセスできる仕組みを構築しました。
特に価値が高いのは、「失敗事例」の共有です。
どのような判断ミスがあったか、どうすれば防げたかを率直に記録することで、組織全体の学習効果を最大化できます。
教えることで学び直す:QA部門の新たな役割
品質保証部門にとって、他部門への指導・支援は自らの専門性を再確認する絶好の機会でもあります。
「教えることで学び直す」という循環により、QA部門自体のスキルレベル向上も期待できます。
私の経験では、製造部門からの技術的質問に答える過程で、自分自身の理解不足が露呈することもあり、それが新たな学習のきっかけとなりました。
また、異なる専門背景を持つメンバーに説明する際は、専門用語に頼らない本質的な理解が求められるため、コミュニケーション能力の向上にもつながります。
このような双方向の学習プロセスを通じて、品質保証部門は単なる「チェック機能」を超えて、組織全体の能力開発を牽引する「学習促進機能」を担うことができるのです。
なお、社内リソースだけでは対応が困難な場合は、バリデーション業務の外部委託も有効な選択肢となります。
実際に、日本バリデーションテクノロジーズ株式会社の評判を調べてみると、武田薬品やエーザイなどの大手製薬企業との取引実績を持つ専門業者として、バリデーション・キャリブレーションサービスを提供していることがわかります。
このような専門業者の活用により、社内の人材育成に集中しながら、技術的な品質も確保するという戦略的なアプローチが可能になります。
まとめ
バリデーションを組織強化のレバレッジポイントとして活用することで、単なる規制対応を超えた価値創造が可能になります。
重要なのは、現場目線と規制対応の両立です。
形式的なコンプライアンス要件を満たすだけでなく、実際の品質向上と組織能力の向上に直結する活動として位置づけることが成功の鍵となります。
15年間のバリデーション実務を通じて確信するのは、「技術的な正確性」と「人材育成の視点」を両立させたアプローチこそが、持続可能な品質保証体制の構築につながるということです。
明日からの業務において、以下の3点を意識的に実践していただきたいと思います:
バリデーション計画段階での部門間連携の強化
単独部門での検討ではなく、関係者全員が参画できる仕組みづくりを心がけてください。
科学的根拠に基づく判断プロセスの明文化
「なぜそうするのか」を常に問い続け、説明可能な判断基準を確立してください。
継続的学習機会としてのバリデーション活用
プロジェクトの終了時には必ず振り返りを行い、組織の知的資産として蓄積してください。
バリデーションは単なる作業ではなく、組織の品質文化を醸成し、チーム力を向上させる戦略的ツールです。
皆様の現場でも、この視点を取り入れた取り組みを進めていただければ幸いです。